2022年9月28日に、つっくが死んでしまいました。
前日から明確に具合が悪そうで、ご飯が食べられなくなっていたので、私は全ての仕事を休んでつっくのそばにいました。
ほとんど一日中荒い息で過ごしたつっくは、私の枕元のカゴに入って夜を越しました(もう歩けなくなっていたので、本当に枕の真横のカゴにスポンと入れていました)。
夜中に死んでしまうと思っていたのですが、彼はとにかく体力があるのでなかなか逝けず、私の睡魔が勝ってしまいました。
朝、目を覚ますと、枕元、荒い息でいまだに頑張るつっくがいました。
なんとなく「おなかに乗りたいのではないか」と思いました。死にそうな小動物とは、本来触られたくないものかもしれません。が、私は「彼はおなかに乗りたいのだ」と思い込むことにしました。
もともと言葉が通じない中、7年半も、お互い思い込みあいながら日々を紡いできたのです。最後に思い込んで何が悪いかと思い、寝そべった状態で彼をお腹に乗せたのでした。
つっくはじっとこちらを見ていました。荒い息はもう2日続いています。
この頃には、少し寝返りをうって体勢を変えるためにも一度大暴れして、そこら中を噛みながらバタバタしなければならない状態でした。もう手足と脳がうまくつながっていないようでした。
つっくは突然私のおへそあたりに身を置かれて、視線を彷徨わせていました。
しかし、長い時間をかけて私の顔のほうににじり寄ってきました。私は手伝わず見ていました。ちょうど鎖骨のあたり、肩と胸と、鎖骨を結ぶ平たい(平たいw)部分にまで這ってきて、そこに落ち着きました。
「着いた」というように見えました。
すぐに大きな掠れ声で継続的に鳴き始めました。今までで一度も聞いたことのない声だったので、逝くんだなと思いました。ものすごく苦しかったのか、もしかしたら先に目が見えなくなって怖かったのかもしれません。
「お、そうだねえ」「つっく頑張ったねえ」「すごい頑張ったじゃん」「いい子だったよねえ」私はすべての掠れ声にこう言い返しながら、彼はそこに5分くらいいました。
荒い息がものすごくゆっくりになって、掠れた鳴き声が甘えた小さな鳴き声になって、鳴き声と鳴き声の間がどんどん長くなって、鳴かなくなりました。最後、目は丸く大きく開いていて、明るい窓の外の太陽をまっすぐに見ていて、私の心臓の上で彼の心臓は止まりました。
本当は夜のうちに死にたかったと思います。私が起きるのを待っていたのだと思いたくなるほど、おなかに乗ってからあっという間でした。
よく「空の上で見守ってくれている」という表現、考え方があります。この辺は個々の感覚だと思いますが、私はそのあとすぐ散歩して、空を見て「知らない場所だな」と思いました。
つっくの命はあのとき私の心臓にシューっと入って、溶けていったような感じでした。つっくの意識は「消えて無くなった」のではなく「単に私が見失った」ような感じがしました。
フワフワして小さくて、かわいいペットだったからつっくが好きなわけではありませんでした。有機体で一番好きでしたし、まずなにより性格が好きでした。
知能が高く、本当は根に持つタイプであるのに、手を差し出すと渋々寄ってきて、段々と諦めて目を丸くしてくれるのがすきでした。「しょうがねえな」と折れたり諦めたりするときの彼の心の機微がすきだった。
ギリギリ歩けるうちは最後までももちゃんの小屋に張り付いていましたし、死ぬ数分前まで食べ物を口に運んでは噛んで、飲み込めずそっと口から出していました。最後まで欲の強いやつでした。
つっくは死んだくらいでは私を見守ってはくれないと思います。
彼は私を見ておらず、ただ強い生きる欲を持って死んでいきました。私がこれからどうしたらいいかといえば、その欲を見習い、誇りに思って、やるべきことをやっていくのだと思います。
なけなしの命でしたが、強くてまっすぐでした。とにかく好きでした。